私がこの世界に入った訳
私がこの世界に入ったきっかけは、主人の突然死が人生の大きな転機となり、その道の先に、この世界があったのだったと思います。
私は、34才まで普通の専業主婦をしていました、普通の3人の子供のお母さん、最近には珍しく主人の実家に主人の母と6人暮らしでした。
他と違うことは、『前年、主人の父を亡くし、1周忌の法要があったこと、関西勤務の主人の兄は、脊髄に菌が入り、このままでは命の危険があるか、または生涯車椅子生活になるかもしれないとのことで、大腿骨の骨の移植手術を控えている』と加藤家に於いては大きな節目を迎えておりました。
義兄の代わりに義姉と迎えた、義父の一周忌を終えたばかりの2月2日・・・。
それまで風邪もあまりひかないような、元気に見えた主人がいつも通りに仕事から帰って来て、いつも通りお風呂に入り、いつも通り食事をして、いつも通りテレビを見ながらウィスキーの水割りを飲んでいました。
私もいつもの通り食事の片付け後、いつも通り3人の子供に絵本の読み聞かせをしながら、いつも通り一緒に寝入ってしまっていた夜中12時過ぎのこと。
『何か変なんだよね・・・』と主人が寝室の部屋の入り口に立ったまま、話しかけてくる。
昼間3人の元気な子供達と過ごしていて体力を使い果たしていても、寝起きの良い私は『どうしたの?』と寝ぼけた声で聞く。
『さっきから変なんだよね』と繰り返す。
私はまだ寝ぼけているので、『…ん?』と次の言葉を待っていると。
『さっきから手と足が少し痺れるんだ、何だろう?』と少しロレツが回らない言い回し。
酔っている?さすがにビックリして飛び起きた私は『大丈夫?何?どうしたの?』と矢継ぎ早に聞くと。
『いやいや、別に心配ないと思うけど。』と主人。
『そんなに飲んだの?』の私の問いに、
『そんなでもないんだけど』と主人。
『大丈夫?病院に行かなくて平気??』と慌てる私、それでもまだ本当の事態は理解していなかった・・・・・
『いやいや、大丈夫だよー、朝早く明日仕事だし』と主人は気楽に言う。
『そんなこと今まで無かったよ。病院行った方が良いよ。さすがに救急車って訳にはいかないならタクシー呼ぼうよ。夜間診療調べてくる』と食い下がる私に。
『大丈夫だよ、明日休めない現場があるから、寝れば大丈夫だよ、それでも変なら朝病院行くから。』と私の焦りを宥めるように優しく、引かない主人。
『本当?本当の本当に?』と食い下がる私に。
『明日休めないから、寝るよ。大丈夫だから、心配しないで。おやすみ~~』と水を飲んで、布団に入って寝てしまう。
しばらくどうしようかと迷いながらも寝てしまった主人の寝顔を見ながら、明日が来ることを当たり前に思い、これが最期の会話になるのだとは思いもせず、私も寝てしまった。
それから2時間くらい経って・・・・
『トイレに行きたい』と言う主人の声に、
『大丈夫?ついて行くね』ハッと起きた私は後を追う。
歩く姿、言葉がだんだん怪しくなるが、私はその事実を不安と恐怖を感じながらも、すでに現実感のないままに、『大丈夫? 大丈夫?』と後を追う。
トイレを済ませ、フラフラする主人はそのまま2階の寝室へ向かう。
後から考えれば、そのまま救急車を呼ぶ状況だったのだろうが、現実を素直に受け止められない私がいる・・・
頭は回らない・・・・・。
そのまま主人の後ろを歩く、ひたすら背中を押しながら狭い階段を上って行く。
主人は、ようやく寝室の扉を掴み一歩踏み出すが、そのまま布団に頭から倒れこみ、意識不明となる。
スローモーションのように、そこからは何が起こっているのかわからないまま、主人の義母を起こし、救急車を呼んだ。
主人の様子を見ると意識のないまま、吐いてしまっている。
身長178cm、体重85kgの体格の良い、意識のない主人を155cmの私が動かすことはとてもできない。
それでも下を向いているので、喉を詰まらせることは無いので、ビニール袋も洗面器も間に合わないままタオルで対応した。
主人の嘔吐した顔や身体をきれいにし、周りを片付けて、そんな慌ただしさが落ち着く頃、救急車は近づくにつれサイレンが小さくなり、家の前に止まった。
救急隊員が階段に担架を持って上って来るが、体格の良い主人、間口が狭い寝室から狭い階段へはどうやっても担架で曲がることができない。
応援の人を呼んでいる間、主人の処置をしている。
ようやく人手が来て、主人を部屋から数人がかりで抱え出し、担架に乗せ階段を降りた。
救急車に乗ってもしばらく時間がかかる・・・。
まだか、まだか、とすでに何時間もかかっているように感じた。
主人は意識が戻らないままだが、装置を付けられ落ち着いている。
こちらが聞きたい事がたくさんあっても、緊迫感がそれを許さない。
こころは苦しいのか・辛いのか、もうすでにわからない。
救急隊の搬送先探しが優先するので質問にひたすら答えた。
子供を義母に預け、救急車で運ばれ、立川にある救急医療センターへ搬送。
そのまま緊急手術となるはずだが、様々に手続きを踏まないと何も進まない。
書類を書いている間に主人はすでに緊急手術の準備、検査に入っている。
オペが始まり、不安と緊張にこの状況は受け入れられない、まるでドラマや映画を観ているかのように、心と身体が分離し、乖離していく・・・。
結果は、突然脳幹出血で倒れたとのこと。
つまりどの時点で救急搬送されたところで生命の根幹である脳幹。
「手の打ちようはなかったですよ」と、淡々と話す医師の言葉・・・・・。
目の前が真っ暗になる、頭は真っ白になる、自分のことなの? 主人のことなの? 何が起こっているのか全然理解ができない私がそこにいた。
さっきまで、普通に話をしていた主人が、起き上がることも、会話をすることも、くだらない話を聞くことも、酔っ払うとなんでも暴露するくだらない話もできない。
子供達が大きくなってきたからキャンプへ行こうと揃えた車やキャンプ道具。子供の相談も、家族の相談も、これからのことも・・・・・。
これは現実に起こった主人と私の最後のやり取りです。
この後、心とは裏腹に、私は信じられないくらいしっかり動いていました。
現実のことを現実として受け入れることはできないまま、主要な親戚、友人に連絡すると、何を於いても、皆一斉に連絡をして、遠方からも駆けつけてくれました。
「えっ?弘之ちゃんが?お兄ちゃんじゃなくて?」と親戚の方々の言葉は、当時の加藤家の状態を表しています。
私の実母が、21歳の時に突然亡くなった時も、実父が肝臓がんの疑いで入院中でした、母は父の入院先でやはり脳幹出血で突然に亡くなっていて、「えっ?ふーちゃん(母です)?お父さんじゃないの?」という言葉をこんな時思い出しました。
自宅に帰ると近所の友人が子供のこと、学校、幼稚園のこと、手を回してくれてたくさんの方々に助けてもらいました・・・・・。
それでもまだまだ続きます。
続きを読んでくださる方がいらっしゃるのでしょうか・・・。
ここから立ち直り、今の私はここにいます。
今までも自己開示をたくさんしてきましたが、今苦しい中にいる皆様に、私のどん底をお伝えしていこうと思います。
どん底を知っているから、「皆さんのことがわかる」なんてこれっぽちも思いません、言えませんが、どん底の方々の気持ちは伝わります。
長々とお読みいただきありがとうございます。
続きは細々と書かせていただきます。
ではまた。
カウンセリングルーム ハルモニア 加藤
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